博士と僕





どうして教えてくれないんだ
僕に
死というものを


 僕の部屋には、変わった同居人がいる。ものごころついたときから、ずっと一緒にいる。彼の名前は、「博士」という。その名前が何を意味するのか、彼がどういう素性のやつか、まったくわからない。彼にもわからないらしい。彼に聞いても、こう返事が返ってくるだけだ。
「私も、自分の存在が知りたいのだ。君も、自分が何なのか知りたいだろう。それと同じだよ。私も自分が知りたいのだよ。しかし、私の存在についての仮説なら私は持っている。聞きたいだろう、では話そうではないか。私が思うに、私とは、もともと誰もが持っている、話し相手のようなものだろう。赤ん坊は、誰もいないところに手を伸ばしたり笑いかけたりするだろう。赤ん坊には、私と同じような存在の者が見えるのだよ。しかし、それもいろんな人のことを認識できるようになるとともに、見えなくなってくるのだよ。だが君は、そんな私がいつまで経っても見えるという特異な人間なんだ。という私の仮説はどうかね、すばらしいだろう。我ながらいい仮説だと思うのだが。しかし、決して君が、未だに人を認識できていないと言っているわけではないことはわかってくれたまえよ。」
 小さいときに、お母さんに彼のことを一度だけ言ったことがある。するとお母さんは、僕を不思議そうに見て、病院に連れて行った。いろんな器具を見て、怖くなった僕は、そこから逃げ出した。結局、お母さんに見つかって、病院へ行くことはなかったが、家に連れて帰られた。そういうことがあって以来、僕は誰にも彼のことを言ったことはない。なぜなら、彼が僕にしか見えていないことがわかったから。
 そんなわけで、彼との同居生活は僕と彼しか知らない。小学校のときも、中学校のときも、今の高校でも、彼と話をするときは、二人きりで話すようになった。でも、いつでも僕の近くにいて、ただ僕のことを傍観する。僕は、それを感じつつ、普通に学校生活を送っている。友達もいるし、そこら辺の高校生と変わりはない。でも、ひとつ違うのは、「死」というものが、どんなものか身をもって知りたいということだ。要は、自殺志願者、なのだ。これも、僕と博士しか知らないことだ。
「ごちそうさま」
僕はそういって、くだらない会話の飛び交う食卓から席を立った。僕がこんな風だからといっても、家族も変というわけはない。普通の、どこにでもいる、家庭円満な家族だ。
「勉強もしなさいよ」
そんないつもの母親の一言を受け流しつつ、部屋へと戻る。
 部屋へ入ると、ベッドに仰向けに寝転んだ。いつもこの時間は、自殺の方法を考えるのだ。あまり苦しまず、大掛かりな準備が必要ではない、そんな方法を。
「君はそんな方法があると思っているのかね」
いつものように、博士が考える邪魔をしてくる。
「なかったら、考え出せばいいじゃないか」
僕が反論すると、またいつものように言ってくる。
「そういいながら君は、何を考えているのかね。ちっとも考えてはいないだろう。なら、私からひとつ提案しよう。ほかの人に『僕を死なせてくれ』と頼むのはどうかね。一番手間がかからなくていいと思うのだが」
それだったら、殺人になるではないか。そう思ったら、それを見透かしたように博士が言う。
「実行犯は別になるが、殺人教唆は君がするのだから、大して変わらないじゃないか。それに、死がどんなものかを自身で知りたいのなら、自殺にしろ他殺にしろ変わりはないじゃないか。そうだろ。死ぬに変わりはないのだから」
確かにそうだと思うが、ただ自殺と殺されるのでは気分が違う。
「気分など、これから死ぬのに必要はないだろう。気分が味わいたいなら、自殺未遂か殺人未遂かにすることだな」
だったら死ねないではないか、と思う。すると博士はこう言った。
「どうせ、死ねないじゃないか、と考えたのだろう。分からないのかね、君は。自殺をするには、少なからず手間がかかるのだよ。それに、自殺といっても、元をたどれば殺人と同じことだよ。君は本当の自殺が何なのかを分かっちゃいないのだよ」
「じゃあ、本当の自殺とは何なんだ」
僕は、聞いてみた。博士がどう言うか、ぜひとも聞いてみたい。
「本当の自殺とは、自分の手で自分を殺すことだよ。それ以外は、殺人と言えるだろう」
言っている意味がよく分からない。
「まだ分からないのかね。君は、自殺にいろいろな種類があると思うのかね。とりあえず、君が思いつく自殺の種類を言ってみるといい」
僕は少し考え、いくつか挙げてみた。
「考え付く要因は…。毒と、飛び降りと、首を括るのと、水に顔を浸けるのと、刃物で刺すのと、感電するのと、火をつける。とりあえずこのくらいかな」
「どれも殺人ばかりだな。自分で自分を殺しちゃいないだろう。毒が殺す、硬い地面と重力が殺す、首を絞めるロープやタオルなどが殺す、水が殺す、刃物が殺す、電流が殺す、火が殺す。すべて自分以外のもので死んでいる。自分で死ぬのが自殺なのだから、扼殺―――手で首を絞めて殺すことだよ、分かっているかね―――か、そうだな、餓死もいいかな。さて、どちらにするかな。どちらも、物を準備する手間はかからないが、心の準備という手間がほか以上にかかるようになるがね」
「だったら、周りにそういうものがなくなれば、自殺がしやすくなるじゃないか」
僕は、精一杯の反論をする。
「だとしたら君は、人間を絶滅させたいのかね。身の回りのもののほとんどが人を殺すことができるのだからね。水も、顔を浸けるだけでなくても、飲むだけで死ぬことは可能なんだよ。ただし、十リットルも飲まないといけないがね」
僕の反論は、あっさりとかわされた。
「もう反論は終わりなのか。つまらない奴だな、君は」
最後のところ以外はこじつけのように感じるが、これ以上の反論はできない。
「感じる、ではないよ。これは、こじつけなのだからな」
もう何も言えない。
頭が痛くなってきた。
「頭が痛いなら、頭痛薬でも飲むといい」
もちろん比喩で言ったのに、博士はわざと突っ込んでくる。
僕はそれを無視して、今日友達から借りたマンガを読み始める。
無視されたことが何でもないように、博士は本を読み始めた。いつも、難しそうで分厚い本を読んでいるが、どんな内容か知りたいと思ったことはない。聞いたが最後、延々と三時間は語るだろうから。
その後は、しばらくマンガを読んだ後、妹に呼ばれてゲームにつき合わされた。
また今日も、いつもと変わらない一日が終わろうとしている。

いつものように朝起きて、
いつものように朝食を食べて、
いつものように学校へ行き、
いつものように授業をうけ、
いつものように友達と話し、
いつものように家に帰り、
いつものように夕食を家族で食べ、
いつものように自殺の方法を考え、
いつものように遊び、
いつものように風呂に入り、
いつものように寝る。
いつもと変わらない、
面白くもない一日。


また今日も、
死ねなかったな…。





戻る